Tuesday, November 6, 2018

「新編日本の面影」という本

こないだ書いたサカナとヤクザは出かけた帰りの電車の中で読んでる。
これが面白くて、終わるのがもったいなくてちびちび飲むウイスキーみたいに
少し読んではネットの補稿版のブログで写真を見たり解説を読んで楽しんでる。
サカナとヤクザ買いました!って言ってくれる読者の人もいて我がことのように嬉しい。

そして行きの電車で読む新しい仲間が加わった。
ラフカディオ・ハーンの「新編日本の面影」である。
小泉八雲と言えば知ってる人も多いかも知れない。
彼は1890年、40歳になってから日本にやって来て、
54歳でその生涯を閉じるまで、精力的に日本の風俗。思想を記した。

彼の文章の中には押し寄せる近代化の波に飲み込まれる寸前の美しい日本がある。
横浜の野毛あたりの寺院を巡る話なんてみんながよく知ってるはずの場所の描写がホントにすごいんだから一度読んでもらいたい。
もちろん出雲の話もそう、行った事ないからこれを読んだ当時の西洋人と同じ感覚で想像力を膨らませて当時の町に行くことが出来る。

読めば読むほど日本ってついこないだまでこんな感じだったんだなって思う。
僕らが子供の頃だって、お団子や和菓子は経木っていう薄く削いだ木に包まれていたし、
肉は量り売りでやっぱり経木に包んで売ってもらってた。
豆腐は鍋を持って買いに行くものだったし、それが当たり前だと思ってた。
もちろん失われて行くものには理由があるし、効率だって悪いだろう。
でも効率が全てに優先するってのもやっぱり間違えているような気がする。

この本は日本を遠く離れてイタリアで暮らす友人のヤマタツ氏が送ってくれた。
オートバイの部品と一緒に海を渡ってやってきたんだ。
海外にいる時っていつもよりずっと日本を意識するような気がする。
僕自身、最近周囲に外国の人がたくさんいる環境に身を置いているので、日本にいながらも「この考え方は日本人ならではだな」とか「ただじっと目で見てもこいつはこの機微は一生わからないんだな」とか「いや、西洋人でもものすごく伝わる人っているな!」といった感じで、他民族間の交流に驚いたり困ったりしている。
そして、コミュニケーションにおける国民性っていうものは確かにあるが、結局最後は個人の資質によるものなんだって痛感してる。

ハーンが亡くなった54歳まであと2年。僕は40歳から52歳まで一体なにを残したのだろう。

ちょっと脱線しちゃったな。
『新編日本の面影」 一度手に取って読んでみてください。
今回からちょっと広告を試してみました。

こないだ書いたサカナとヤクザもホントに面白いよ。







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