ちと前のことですが
是非とも載せたい記事があります。
7月の初めに、この人が我が狭小基地やって来た。
神奈川のHILIGHT MOTORCYCLE WORKSさんにいるところに、
丁度茅ヶ崎の叔父の見舞いに行っていた僕が会いに行ったのだ。
その日は深夜に我が家にお越しいただき、バイクの話、地震の話、放射能の話そしてもちろん愚かな話題など明るくなるまでしていた。
翌日、犬ガレージを見ていただく。
本当に狭くて驚いてる!
机に向かって一人だけが座れるコクーン的空間。
触ッタラ爆発!
ブドウがなってたっけな。
そして向かったのは
旧陸軍桶川飛行学校跡
そして解説も写真も遥かに充実してるこちら
僕は10年ほど前まで6年間、この桶川に住んでいた。
何故かと言えば、オートバイに乗りたくて、広い一軒家に住みたかったから。
森の中にある5軒ほどの貸家に友達3人と1軒ずつ借りて移り住んだ。
夏は毎週のように40人も友達が来て、夜はみんなの家に分宿して明るくなるまで遊んでた。
冬はたき火しながら落ち葉を燃やして、バイク談義やレースの計画に花を咲かせた。
昔の我が家もこんなうっそうとした林の中にあった。
桶川飛行学校の跡地は
なんというか、暑くてジャングルみたいで「戦場のメリークリスマス」みたいな所だった。
築80年あまり
あちこちが傷んでいる。
弾薬庫
万が一の爆発でも火薬の爆発力を上に逃がすようになっている
この日は平日だったのだが、「桶川市役所に連絡してみて下さい」と書いてあるので
電話をしてみたら…
なんと担当の方がわざわざ鍵を開けに来て、解説までしていただいた。
外は猛烈に暑いのに
中はひんやりした空気。
本当にしんとしてる。
僕は特に霊感などないのだけど
ここでは誰かに後ろから呼びかけられたような気持ちがして
振り向いて撮った一枚
奥をよく見ると誰もいない。
誰もいないのではなくて、見えないけれど、誰かがいる。
この場所でそれを言葉にすると、急に怖くなってしまいそうだった。
見えるものだけが全てではないんだ。
飛行機のタイヤ
戦後はリヤカーのタイヤとして使われたりしていたそうだ。
この教室にも猛烈な気配があった。
ここで青春の最後の季節を過ごして、帰らぬ作戦に出た若者なのか。
建物は大震災にも堪えたが、老朽化して端から朽ちて来ている。
リアカーのスプールハブに見入る。
ここはガレージの跡
飛行機の部品
自決用タイヤ、いや、航空機用タイヤ
戦時中の飛行学校
今の3本の大木がこんなに若い。
木って成長してるんだなあ
陶器の地雷。
昭和初期のままの便所
昔の便所ってこんなだったなあ
「忘れないで」って言ってる。
建物全体がそう言ってる。
7年も桶川に住んでいたのに知らなかった。
その時、ここはまだ引揚者の住居だったという。
しかし、河田さんとここに行けて本当によかった。
飛行学校は、おそらくこのまま自然に倒壊するだろう。
また来年、はないかも知れない。
みなさんも興味があったら是非行ってみてください。
地元出身の航空兵が、自宅の上空を旋回して、手を振る家族に最後の別れをする話を読んで、僕は暗い建物の中で心に涙を流した。
いつの間にか戦争に行く若者の歳から、それを見送る父親の歳になっていたんだ。
夏の花が咲いてる
この4日後、
僕を誰よりもかわいがってくれた叔父が亡くなった。
飛行機が飛んでいた、夏の日の思ひ出。
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