Monday, May 30, 2011

「止むなき表現」をする場所としてのブログ

最近知り合いに会うと、みんなエネルギーについて考えている。
自分が使っているエネルギーはどこから来るのか?
エネルギーを使いすぎない暮らしをするにはどうしたらいいか、など。

でも、やっぱり大きな会社で工業製品を作っている人や、その会社の人たちは
電気は湯水のように使えて、原子力発電所がたくさん動いて、もっともっと景気が良くならないと困る。と考えていることもわかった。
もちろん僕も電気をつかって仕事をするし、世の中の大半の仕事に電気が必須なことは間違いない事実だ。

「原発はやめられないよ」と言い切る人は、以前不景気な時に「戦争でも起こってくれたら少しは景気も良くなるのに…」と言っていた人物と同じだった。
冗談じゃない。自分の経済的幸せが欲しくて、どこかで死人の山と悲劇と絶望をもたらす戦争を望む人物がいるとは。

エネルギーの浪費や、果てしないモノの消費では人は幸せにはなれないんじゃないだろうか?

改めて小出さんの記事を読んでみた。

以下は僕の友人のブログから抜き出した下記リンクの抜粋。

http://actio.gr.jp/2007/11/19061359.html

根本的な問題は、人類はエネルギーを使い過ぎていることです。
一体どのぐらいのエネルギーがあれば、
人間は平和で豊かな生活を送れるのかを考えてみましょう。
今世界65億の人口のうち、先進国に住んでいる人は4分の1、
約16〜17億人です。残りの50億の人たちは、
未だにエネルギーをほとんど使えない生活を強いられています。
(中略)
にも関わらず、私たちはさらに大量のエネルギーを使って
贅沢を享受する社会をつくろうとしているのです。
この極めて差別的な世界を一体どうすればいいのでしょうか?
宮澤賢治は「世界がぜんたい幸福にならないうちは
個人の幸福はありえない」と記しました。
私は「世界ぜんたい」とは、人間のみを指すのではないと思います。
人間を含めたこの世界全体が幸せになることを、
賢治さんは願っていたはずです。またそう考えなければ、
この地球という星を守ることはできないところにまで
私たちは追い詰められてしまったと思います。
賢治さんは続けてこう記しています。
「個性の優れる方面に於て、各々止むなき表現をなせ」。
たまたま原子力の世界に入ってしまった私は、
なんとか原発を止めるために自分が持っている力を出し尽くします。
みなさんも、それぞれが取り組んでいる場所で、
それぞれの力を発揮してください。
私たち誰もがそれぞれに「止むなき表現」をする場所があるはずです。
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僕はこのブログでは一切政治的発言を行わないようにしてきたが、
「止むなき表現」をする場所として、脱原発を強く求め、
ここに小出さんの記事をリンクすることにした。
http://actio.gr.jp/2007/11/19061359.html
最悪の事態が回避され、
平和な日々に戻れることを願っています。
同時にこれからの僕らの世界が
フェアで正義に満ちたものになることを願っています。


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引用終わり


僕もこのブログでは「乗り物のこと」や楽しいこと基本に書く、という自分のルールを作って、
政治的な発言や誰かの批判は、なるべく書かないつもりだった。
けれど、ここは僕にとっての「止むなき表現」をする場所でもある。
これからもはっきりと原子力発電に反対する。
そして自分の経済的利益の為に、他人の不幸を望むような人間が減ることを希望します。

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