明日死ぬと思って生きなさい。
永遠に生きると思って学びなさい。
ガンジーの言葉
これが僕のこれからの1年のテーマです。
学ぶったって、机や本にかじりついて
勉強しようってんじゃない。
ただ、歳を重ねると時間が経つのがすごく早くなる
気がつくとすぐ誕生日が来て、
クリスマスがあって、正月が来て、桜が咲いたと思ったら、もう5月。
うれしい大好きな夏が来て、涼しくなったと思ったら
また次の誕生日
まだやりたいこともやり残したこともたくさんある。
取りかかったら意外なくらい簡単に済んですごくさっぱりすることも。
だから出来ることはどんどん進めて
もっといろんなことを知りたい。知識を得て活かしたい。
経験を積んでうまくなりたい。
あっ、バイクで山遊びもしてすこし健康にならなきゃ。
Monday, October 31, 2011
近況2011_oct
最近の僕のバイクは、こんな感じです。
これでいつも仕事に行ってます。
今はグリップが紺になってるけどほぼこれ。
あっ、タンデムステップのステーは外してショックの下側ボルトにマウントした。
この方がシンプルでいい。
タンクマークは外した。
フロントタイヤはエイボンに交換
タンクはもう一回り小さくつくりたい。
前側のマフラーも取りかかってない。
ラインをもう少し曲線的にエンジンに近づけて、色はつや消し黒がいいかなあ。
フレームのネックにかかる鉄板の補強ももっと小さくしたい。
フロントのブレーキラインの取り回しに苦労してるんだけど
これ、キャリパーを右にしたらラインもきれいに、長さも短く決まると思うんだが、
カッコ悪いかな?
リアホイールの黒塗装ははがしたい。
その方がタイヤがより小さく見えるし、今は少し後ろ側が黒に沈み過ぎてる。
スプロケットだって銀でもいいかもしれない。
シートもだんだん馴染んできたけど、もうひとつ作ってみたい。
この角度で見るとシートからタンクの間のフレームが見える部分
ここは大好きなんだけど、ちょっと長過ぎるなあ
ショックの上側のカバーは付けたり外したりして今は付いてる状態。
さて、次はどこから始めようか!
N360 来る
こないだ、こんな車で懐かしい友達がやってきた。
桶川で隣に住んでいた家の近くから、標高1200mの家まで
コロコロっと走って来た。
もとは焼き付いてすっかりダメになったエンジンを
オーナー自らの手で、ほとんど部品交換しないで
磨いたり手当をして復活させている。
彼が歴代乗ったバイクのヘッドカバーは
いつもピカールでピカピカに磨き上げられているんだ。
発電機とセルモーターは一台で兼務する
セルダイナモ
エンジン始動の音がなんとも優しい
クラッチは単板だけど、エンジンは完全に空冷2気筒バイクのエンジン
彼の自宅を訪れた時に見せてもらった床下には、この360のパーツがぎっしり詰まっていた。
エンジンはあと2基くらいあるらしい。
なんとRSCのステカ!
ところどころ錆は出てるがいい風情。
シートの金具もナイス!!
こんなカッコいいシート、今の車には絶対出来ない。
みんなの人気を独り占めです。
秋葉原まで行ってパーツを購入したという自作セミトランジスタ。
なんとケースは新品のタッパーウエアがおごられている。
さらによく見るとトランジスタの取り付けはコネクタ式になっていて
万が一のトラブルでもトランジスタの差し替えで復帰が出来るようになってる
グリルの奥には空冷フィンが見える。
エキゾーストパイプもまんまバイク
小さなトランクにはタイヤと工具
ひび割れ塗装
なわけない。
屋根は自作のキャンバストップ
怪傑ゾロが乗ってみた。
すごくいい大きさ!!
車の大きさはこれでいいのかも!!!
Friday, October 28, 2011
クラッチ破断
信号が赤になって止まるときにクラッチ切った途端に、ボキンブンッ!って手応えとともにクラッチが切れなくなった。
そーっと端に寄せてキーでエンジン切ってよく見たら…
そーっと端に寄せてキーでエンジン切ってよく見たら…
ピンが入る穴が欠けてるじゃん…
参ったなあ。
今日はそんなに遠くに行かないからと思って
出がけに工具の袋を置いて出て来たところ。
仕方なくJAFに電話したら、20分くらいで来てくれた。
ステンレスワイヤーとペンチを借りてくるくるっと応急修理して乗って帰って来た。
JAFの人はちゃんと家の近所まで後を付いて来てくれた。
サンキューJAFの人!!
ストックしてあるパーツの中から
今まで使ってたワイヤーより少しだけ短いのに交換した。
こういう時パーツを待ったり、買いに行くのが大嫌いなので
最低限の部品はストックするようにしている。スペアがあってよかった!
さらばトヨタ式看板商法!ビバ!!スペアパーツ
これですぐまた走れる。
Wednesday, October 26, 2011
Tuesday, October 25, 2011
「蛇足」で洗脳を試みる読売新聞
福島県境の子供の健康調査、宮城県が実施へ
宮城県は25日、東京電力福島第一原発事故を受け、福島県境にある丸森町の2地区の子供を対象に、放射線被曝 の影響を調べる健康調査を実施する方針を明らかにした。
同町の耕野 と筆甫 の2地区で、子ども約100人を対象に実施。超音波を使った甲状腺の検査や、ホールボディーカウンターと呼ばれる全身を測る装置で内部被曝線量を調べる検査などが想定されている。開始時期や対象となる子供の年齢などは今後、町と協議する。
県が空間放射線量が比較的高い県南部での年間被曝線量を推計したところ、ほとんどの地点で1ミリ・シーベルト未満だったが、耕野地区では4・1ミ リ・シーベルト、筆甫地区で2・8ミリ・シーベルトだった。ただ、放射線の国際専門組織は100ミリ・シーベルト以下でがんのリスクが高まるデータはない としている。(2011年10月25日22時12分 読売新聞)
普通の報道に見えるけど
ここに原発推進新聞の意見をちょっと差し挟んでいる
「ただ、放射線の国際専門組織は100ミリ・シーベルト以下でがんのリスクが高まるデータはない としている。」
日本の法律では年間1ミリ・シーベルトまでだったんじゃないの?
こういう記事を毎日読まされてると、だんだん頭に刷り込まれて、年間100ミリまで大丈夫なんだからそんなに騒がなくてもいいんじゃない?なんて言うようになる。放射能汚染は、めんどくさくなったやつの負け。
新聞記事による情報操作に気をつけましょう。
トレーラー I like motorcycle trailer
トレーラー持ってるけど
まだハーレーは運んだことない。
なぜか農耕機の後ろに付けるトレーラーとしてやってきた。
モトクロスなら3台積める
前にXR600を2台積んで古いボルボのステーションワゴンで運んでたら
菅平から長野に降りる急坂でブレーキが焼けちゃったことがあった。
あの時はちょっとビビった。
隣に座ってた友達が強者だったので
カッコつけた僕はうろたえちゃいけないと思う一心で
なんとか直線のところでパーキングブレーキを引いてきれいに停めることができた。
僕が住んでる東京じゃ、停める場所の問題でなかなか使いにくいけど
トレーラー大好きなんだ。
トラックに2台、トレーラーに3台の計5台積んで走ることもできるし
トラックの荷台にシェルを付けてもバイクを運ぶことができる。
今ハーレーはほとんど自走だからなあ
さよならCRM
津波から半年以上経って
やっと津波に飲まれたオートバイを走れるようしてオーナーに返すことができた。
やっと津波に飲まれたオートバイを走れるようしてオーナーに返すことができた。
早速、某私有地で試乗してもらう。
久しぶりの対面にバイクもオーナーもうれしそうに見える。
調子良さそうじゃん。
この様子を見届けに、たくさんの仲間が集まってくれた。
気仙沼、水戸、埼玉、東京、葉山、長野、岐阜、淡路島…みんなよく来てくれたなあ。
書類を渡して引き渡しは完了!
俺どこ見てんだ?
明るいうちから
肉焼いて
飲んで
鳥も焼いて
飲んで
暗くなる頃から
慣れない手つきで数百個の餃子作って
歌って
飲んで食って最後は全員がつぶれて気絶。
金曜夜中から日曜の夕方まで
言葉で言うのは気恥ずかしいけど、こんなお酒を持って来てくれた。
バイクの修理は済んだけど、
まだまだ大変なことはたくさんあるはず。
これからもずっと応援してるぜ!
みんなも来てくれてありがとう!
Thursday, October 20, 2011
桶川飛行学校
ちと前のことですが
是非とも載せたい記事があります。
7月の初めに、この人が我が狭小基地やって来た。
神奈川のHILIGHT MOTORCYCLE WORKSさんにいるところに、
丁度茅ヶ崎の叔父の見舞いに行っていた僕が会いに行ったのだ。
その日は深夜に我が家にお越しいただき、バイクの話、地震の話、放射能の話そしてもちろん愚かな話題など明るくなるまでしていた。
翌日、犬ガレージを見ていただく。
本当に狭くて驚いてる!
机に向かって一人だけが座れるコクーン的空間。
触ッタラ爆発!
ブドウがなってたっけな。
そして向かったのは
旧陸軍桶川飛行学校跡
そして解説も写真も遥かに充実してるこちら
僕は10年ほど前まで6年間、この桶川に住んでいた。
何故かと言えば、オートバイに乗りたくて、広い一軒家に住みたかったから。
森の中にある5軒ほどの貸家に友達3人と1軒ずつ借りて移り住んだ。
夏は毎週のように40人も友達が来て、夜はみんなの家に分宿して明るくなるまで遊んでた。
冬はたき火しながら落ち葉を燃やして、バイク談義やレースの計画に花を咲かせた。
昔の我が家もこんなうっそうとした林の中にあった。
桶川飛行学校の跡地は
なんというか、暑くてジャングルみたいで「戦場のメリークリスマス」みたいな所だった。
築80年あまり
あちこちが傷んでいる。
弾薬庫
万が一の爆発でも火薬の爆発力を上に逃がすようになっている
この日は平日だったのだが、「桶川市役所に連絡してみて下さい」と書いてあるので
電話をしてみたら…
なんと担当の方がわざわざ鍵を開けに来て、解説までしていただいた。
外は猛烈に暑いのに
中はひんやりした空気。
本当にしんとしてる。
僕は特に霊感などないのだけど
ここでは誰かに後ろから呼びかけられたような気持ちがして
振り向いて撮った一枚
奥をよく見ると誰もいない。
誰もいないのではなくて、見えないけれど、誰かがいる。
この場所でそれを言葉にすると、急に怖くなってしまいそうだった。
見えるものだけが全てではないんだ。
飛行機のタイヤ
戦後はリヤカーのタイヤとして使われたりしていたそうだ。
この教室にも猛烈な気配があった。
ここで青春の最後の季節を過ごして、帰らぬ作戦に出た若者なのか。
建物は大震災にも堪えたが、老朽化して端から朽ちて来ている。
リアカーのスプールハブに見入る。
ここはガレージの跡
飛行機の部品
自決用タイヤ、いや、航空機用タイヤ
戦時中の飛行学校
今の3本の大木がこんなに若い。
木って成長してるんだなあ
陶器の地雷。
昭和初期のままの便所
昔の便所ってこんなだったなあ
「忘れないで」って言ってる。
建物全体がそう言ってる。
7年も桶川に住んでいたのに知らなかった。
その時、ここはまだ引揚者の住居だったという。
しかし、河田さんとここに行けて本当によかった。
飛行学校は、おそらくこのまま自然に倒壊するだろう。
また来年、はないかも知れない。
みなさんも興味があったら是非行ってみてください。
地元出身の航空兵が、自宅の上空を旋回して、手を振る家族に最後の別れをする話を読んで、僕は暗い建物の中で心に涙を流した。
いつの間にか戦争に行く若者の歳から、それを見送る父親の歳になっていたんだ。
夏の花が咲いてる
この4日後、
僕を誰よりもかわいがってくれた叔父が亡くなった。
飛行機が飛んでいた、夏の日の思ひ出。
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