本当にみんなよく無事でいたものだと何度も思った。
電話やメールが切れ切れに通じて、だんだんみんなの安否がわかってきたのは
ちょうどこのくらいの時間だったか。
そして実家では僕の86歳になる伯母が遠くの町に一人で出かけたまま行方知れずになってみんなで気を揉んでいたんだ。
毎年のように遊びに行っていた気仙沼は津波と火災で壊滅状態になっていたし、
地震直後には連絡がついた友達とも、回線が混雑したのかもう連絡がつかなくなっていた。
地震から3週間して僕は現地にガソリンや食料を積んだトラックで向かい、
街の惨状に言葉を失った。
仕事の道具であるVTRカメラと機材を持って行かなかった事、記録を充分にしなかったことについて僕は何度も自問自答していた。
でも持って行かなくてよかった。今は本当にそう思う。
もしかしたら何かしらのカットは撮れたかもしれないが、もっと別の大切なものを失っていたかも知れない。
津波は人間や建物だけでなく、人生や仕事や生活そのものを押し流して行くんだと思った。
僕は生きている。友達も生きている。地震以降仕事はかなり厳しい面もあるけどなんとか生きている。
原子力発電所のことや放射性物質のことでもいろんな人と軋轢やわだかまりを生んだと思う。
原子力発電所に関する僕の発言が元で、ある代理店はすっかり仕事を出さなくなった。
本当難儀な話ばっかりだけど、みんながんばって生きていこうぜ!
そしてたまには会ってバイク乗って酒飲んで宴会しよう!
またね!
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