「汚染された土地でとれた野菜を子供に食べさせたくない。」なんて言うとする。
他にも「原子力発電所の爆発で汚染された土地は除染したとしても、もう人は住めないから帰る事はできない」
なんて事を言うと
猛烈にバッシングされる。
お前が風評被害を煽ってるって言われて、総攻撃されちゃう。
福島市内の放射性物質の値が高くて、チェルノブイリだったら強制退去させられるような地点もある。
なんていうのは数値的には本当のことだ。
そこに住む事を余儀なくされてる方の気持ちを考えると、何とも切ないけど、
そう言う事をいうと自主規制みたいに「お前は人でなしだ!」みたいな話が必ず出てくる。
それも行政や司法からではなくて、読者の人、一般の人からだ。
最近、そうやって国民同士が監視し合って自主規制みたいにする窮屈な世の中になってきてる。
あと何年か何十年かして、今の政治家がみんな死んでからどんどん健康被害が出て来たら
原発を推進する政党に投票していたみんなは「だまされてた」って言うのかな?
もう今だって原発は絶対安全ですって言われて誘致したのに「だまされた」って言ってる人もいる。
それでも経済を考えたら(お金は命より大事だから)原発はやめられないって人も多い。
この世に絶対安全なんて絶対ない。
だまされてた、なんて言えばそれが免罪符になるとは思えないな。
Inuchopper Blogは僕の犬小屋が建ってる僕の小さな裏庭だから、僕と大きく考えが違う人、価値観が違う人は来なくてもいいんだ。
選挙に行かなくてもそれが当たり前と思ってるやつ、
舛添に一票入れたやつはもう見に来なくていいぜ。
伊丹万作
いたみまんさく
「日本のルネ・クレール」と呼ばれ日本映画の礎を築いた映画監督のひとり。脚本家、俳優、エッセイスト、挿絵画家としても活躍した。本名は池内義豊。息子は同じく映画監督で俳優、エッセイストの伊丹十三。小説家・大江健三郎は娘婿にあたる。旧制松山中学校を卒業後、「池内愚美」の名で挿絵画家をしていたがあまり売れず、映画監督・伊藤大輔の下で脚本を書くようになり、1928年、片岡千恵蔵プロダクションに助監督兼脚本家として参加、同年、『てんか太平記』で脚本家デビュー、『仇討流転』で監督デビューを果たした。その後、『國士無双』『赤西蠣太』など笑いの奥に独特の風刺を効かせた作品を発表、知性派監督としてその名を知られるようになった。数多くの片岡千恵蔵主演作をはじめ10年間で22本の映画を監督したが、肺結核を患うようになり病床で脚本を手がけた『巨人傳』を最後に38歳で監督を引退した。そして1946年、46歳の若さで他界した。辞世の句は「病臥九年更に一夏を耐へんとす」。エッセイに『戦争責任者の問題』などがある。
以下は上にもある「戦争責任者の問題」からの引用です。
是非読んでみて下さい。
http://funnycustom.blogspot.jp/2014/02/blog-post_10.html
今度の戦争で「だまされていた」という。
皆がみな 口を揃えて「だまされていた」という。
私の知っている範囲では
「俺がだましたのだ」といった人間は まだ一人もいない。
いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で
一億の人間がだませるわけのものではない。
だましていた人間の数は、
一般に考えられているよりもはるかに多かったにちがいないのである。
日本人全体が
夢中になつて互いに だましたり だまされたりしていたのだろうと思う。
戦争中の 末端行政の現われ方や、
新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、
さては、町会、隣組、警防団、婦人会といったような
民間の組織が
いかに熱心に かつ
自発的にだます側に協力していたかを
思い出してみれば すぐにわかることである。
たとえば、最も手近な服装の問題にしても、
ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないような
こっけいなことにしてしまったのは、
政府でも官庁でもなく、
むしろ国民自身だつたのである。
私のような病人は、
ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、
たまに外出するとき、
普通のあり合わせの帽子をかぶって出ると、
たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、
だれでもない、
親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。
彼らは眉を逆立てて憤慨(ふんがい)するか、
ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、
自分の立場の補強に つとめていたのであろう。
少なくとも戦争の期間を通じて、
だれが一番直接に、
そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、
苦しめつづけたかということを考えるとき、
だれの記憶にも すぐ蘇(よみがえ)ってくるのは、
--すぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、
あるいは郊外の百姓の顔であり、
あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの
小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり--
といつたように、
我々が日常的な生活を営むうえにおいて
いやでも接触しなければならない、
あらゆる身近な人々であつた。
-----だますものだけでは
戦争は起らない。
だます者と
だまされる者とが
そろわなければ
戦争は起らない-----
ということになると、
戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)
当然両方にあるものと考えるほかは ないのである。
だまされた者の罪は、
ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、
あんなにも造作なくだまされるほど
批判力を失い、
思考力を失い、
信念を失い、
家畜的な盲従に
自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた
国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、
無責任などが悪の本体なのである。
このことは、過去の日本が、
外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で
打破することができなかつた事実、
個人の基本的人権さえも自力で つかみ得なかつた事実と
まつたくその本質を等しくするものである。
そして、このことはまた、同時に
あのような専横と圧制を支配者にゆるした
国民の奴隷根性
とも密接につながるものである。
それは少なくとも個人の尊厳の冒涜(ぼうとく)、
すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。
また、悪を憤る精神の欠如であり、
道徳的無感覚である。
ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。
しかし 今まで
奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、
彼らの跳梁(ちょうりょう)を許した
自分たちの罪を真剣に反省しなかったならば、
日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という
一語の持つ便利な効果におぼれて、
一切の責任から解放された気でいる
多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、
私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」と言って
平気でいられる国民なら、
おそらく今後も何度でもだまされるだろう。
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