いきなり大上段に振りかぶったタイトルでごめんなさい。
僕ももう大人なので、知人や友人が亡くなることもある。
若くして死んだ人はみんな素晴らしい人で、まだ生きてるやつはどいつもこいつもみんなロクデナシってことはないけど、
若くして亡くなった友との思い出はいつも本当より少しだけ美しい。
「命」これは僕も君もちゃんと持ってて、それはどこかに消えてなくなるまで、ちゃんとある。
まだ40代でも自分のことを老体だという人もいるし、
88歳の僕の伯母は、いつも元気で、今でも海外に出かけては現地でレンタカーを乗り回し、こんなババア臭い服着れないわよ!と言って笑う。
どっちも本当のことなんだと思う。
若くして老人っぽい人はいるし、歳を取っても若々しい人もいる。
誰だっていつか必ず老いて手足の自由が利かなくなって目が見えなくなって心臓が止まる。
昨日は珍しくスーツなんか着て葬儀に行って来た。
亡くなった人物は、その一生を特殊な生物に関する研究に一生を捧げた人物であったので、研究団体や研究施設、大学の研究室などからたくさんの花が届いていた。
彼の研究成果は、書物や論文で残るけど、
酒を飲む時の嬉しそうな顔や、穏やかな語り口、優しい眼差しはもうどこにもない。
棺に横たわった冷たい顔は魂の抜け殻にしか見えなかった。
その時思ったのは、僕はまだ生きているってこと。
生きている限り可能性はゼロじゃないってことだ。
早くじいさんになって死にたい人に何を言っても仕方ない。
でも僕はまだ生きていたい。
元気で、強い感受性を持って、でもあんまりナイーブで傷つきやすい、
みっともないおっさんにはならないで、ちょっと豪快なくらいで、
動植物を愛し、人間を愛する人物でいたいということ。
もちろんバイクにも乗るよ。
昔みたいには乗れないかも知れないけど、ちゃんと乗り続けたい。
「オレより早く走るヤツは大勢いる、でもオレよりハードに走るやつは誰もいねえ」
なんてカッコいいセリフを70歳になって言えるようにがんばる。
今まで何人もの友達が亡くなる度に思ったっけ、お前の分まで生きるって。
これからも運命が許す限りがんばって生きるよ。
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