19年前の地震の朝
その日は前日から友達のアパートに泊めてもらって朝起きたら地震のニュースになってた。
倒れる高速道路の橋桁や、燃える街の映像に言葉を失った。
一緒にいた京都の友達は、元カノの家が神戸だって言って、真っ青になってた。
どんどん入るニュースで、事態は相当深刻であることがわかってきた。
でも僕はその日、いつも通り勤め先に行って仕事をした。
仕事場は浮世離れした環境だったのでテレビも何もなくて、朝から晩までアルミや鉄を切ったり削ったりして夜遅く家に戻って初めて事の全容を知った。
それまで関西に知り合いがすごく少なかったので、どこか対岸の火事のような気持ちでいたのかも知れないし、現実問題としてどうしたらいいのかわからなかった。
阪神大震災での僕はまるっきりの役立たずだった。
今回の東日本大震災でも、震災の3日後には都内の取引先で普通に打ち合わせしてた。
計画停電で電車が止まったり信号が点かない街を歩きや自転車、電車でなんとか移動しながら、
それでも普通に仕事してた。
原発が爆発したあとで、経済的に余裕のある取引先の人たちはみんな家族を関西方面に疎開させてる事も知った、知って後ですごく後悔した。
もしもこの先、原発が爆発して毒が撒かれたときは、風向きを調べながら避難する方が多少ましだってことはわかった。
でも、何千人も人が亡くなるような地震や台風の時にでも100キロくらい離れた所は何も被害がない。
そんな時、いつも通りに仕事をするべきなのか、ともかく手伝いに行くべきか、少量の物資より自衛隊などに任せて経済を動かすべきなのか、本当にどうしたらいいのか僕は今もよくわからない。
うちには数日間分のペットボトルの水と、何日かは持ちこたえられる食料、カセットガス、寝袋なんかが常備してある。
地震が起きてからたくさん買い占めるのは良くない。けれど、普通に仕入れができる時にたくさん買い置きしておくのは別だよ。
あと家が壊れたり、火事でダメになった時のために、
車や外の物置に分散して置いておくのがいいよ。
自分のバイクやコレクションを見ていて、こいつらいつかはバラバラになって失われるんだなって、そういう風に考えるようになったのは神戸の地震の後からだと思う。
だから一生懸命やらないって意味じゃないよ。
いつか死ぬんだからいい加減に生きようなんて思わないでしょう?
地震も津波も未曾有の台風も竜巻も死に至る病もいつか必ず来る。
悔いなく生きよう。
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