Thursday, September 11, 2014
誰かが自分に正直に生きるのは自由だが、それを押し付けられる方はいささかたまらないというお話。
人生には辛い事も多い、そして僕はとても不完全な人物だと思う。
泣き言が言いたくなった時、
開き直りたくなった時、
ブログやFaceBookの向こう側にいる誰かに、うまく行かない現実を嘆きたくなった時、
僕は三島由紀夫のこの言葉を思い出す。
"やたらに人に弱味をさらけ出す人間のことを私は躊躇なく「無礼者」と呼びます。
それは社会的無礼であって、われわれは自分の弱さをいやがる気持ちから人の長所をみとめるのに、 人も同じように弱いということを証明してくれるのは、無礼千万なのであります。
そればかりではありません。どんなに醜悪であろうと、 自分の真実の姿を告白して、それによって真実の姿をみとめてもらい、 あわよくば真実の姿のままで愛してもらおうなどと考えるのは、 甘い考えで、人生をなめてかかった考えです。
(三島由紀夫「不道徳教育講座 告白するなかれ」より)"
三島由紀夫の考え方には賛否あることは知ってる。
だけどこの文章にある考えは大事だと思う。
かっこよくしていたい、ちゃんとしていたいってみんな思ってるし、
それで世の中が回ってる。
お互いを尊重する最低限の礼儀をもって付き合ってる。
「こんな僕だけどよろしく」っていうセリフは、
一生懸命やってうまく行かない時にゴメン、って気持ちで言う言葉だと思う。
みっともない自分の弱い姿を他人に押し付けながら言われたら正直困る。
こういうのは確かに無礼だよね。
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